もし人生最後のピラティスだったら?

こんばんは!梅雨のような空模様から一気に夏空に戻って、うれしいような、この暑さに溶けてしまうような。
そんな今日はクライアントが下は8歳から、上は75歳の方まで、対応する振り幅が大きな1日でした。

その中で私の中で考えるべきことがありました。
8歳の男の子は、今日を含めて残り2日だけのレッスン、
75歳の方は、今日が最後のマンツーマンレッスンで、
この2人にとって、
もしかしたらこの機会が人生最後のピラティスになるかもしれない、そんな方たちだったのです。

限られた時間の中で、その人たちに私は何が出来るんだろう?
何を持ち帰ってもらうことが、その人たちの人生に役立つのだろう?
昨日から、今朝にかけてずっと考えていました。

8歳の子は、どちらかというと落ち着きがない
75歳の方は、身体の意識が向かない

事実はそうだけど、じゃあ、何が心身と向き合うことの邪魔をしているのだろう?




・・・





と、レッスンをしていて気がついた!

私が邪魔をしていると。
私の「正しいと思う指導」が間違っていると。

私の考える正しさではなく、
目の前の人自身が「出来た!」と思える成功体験を尊重することが必要だったと気がついたのです。

「結果を出さなきゃ」と必死になりすぎて、
動きの中で起きる小さな色々に目がいって、
肝心なその人たちの「気付く時間」を無視していたと。
また、「気づくための工夫」が今まで足りなかったんだと身を持って知ったのです。

私自身がそれに気付いたら、
得てもらいたいことだけに意識が向き、
目の前の人たちの反応がそれまでとは変わったのです。

8歳の子は、昨日までとはうってかわり、無言で取り組もうとする集中時間が増え、
75歳の方は、「今、○○がこうなっている気がするわ」と自ら身体に気づけるように。

8歳の子は、「出来ない」と思う気持ちが心身を不安定にさせていて、
75歳の方は、「自分の身体が分からなくて迷惑をかけて申し訳ないという気持ち」が心身を見えなくさせていたのだと気付きました。

特に、8歳の子は、ネガティブな発言がたまに見られて、しかもそれを良くない発言のように返してしまうと逆に気持ちを逆撫でしていたのです。
「こうやったら出来るよ!やってみよう!」と背中を押したら、本当に出来るようになるから、人って不思議。

75歳の方は今日が最後の予定でしたが、「これからもあなたのレッスンを受けたいわ!」と言ってくださり、継続されることに。


人にとって大切なのは、「私は出来るんだ!」というポジティブな体験なんだな~。
それを改めて知った今日。


自分の接し方で目の前の方の行動が変わり、
そして、人の真相心理まで感じられた1日でした。

8歳の子とは明日で最後。
一生懸命ピラティスを伝えます!!!