「美しいかどうか」にこだわってみる

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Hello!!!
9連休の最終日。ブログを書いたり、本を読んだり、作りおき料理を準備したり、明日からの仕事に向けて準備しています。


『なぜジョブスは、黒いタートルネックしか着なかったのか?~真の幸せを生きるためのマイルール28~』に書かれていた ある美学 が心にストンと響きました。

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⚫古代日本人に学ぶルール
「正しいかどうかより、美しいかどうかで判断する」

「古代日本人は、どんなものにも聖なる美しさを見出して、武器ではなく、装飾品をつくり、オシャレを楽しんでいたんです。」

「その行為は美しいのか?」

「火薬で爆発させる技術が日本に伝わったときに、日本人はそれを鉱物資源の発掘として自然を破壊することに使うのではなく、なんと花火に使った。
これが日本人のかつての感性なんです。
損か得かではなく、美しいか美しくないかを基準にして生きる。
それは江戸時代には「粋」か「野暮」かという言葉に変わります。」

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これを読んだ時、今までの自分の選択になんとなくあったような価値基準な気がしたのです。「心のきれいさ」という観点において。

例えば、好きな人と一緒にいる時にふと「今の自分の心は美しいのか」と考えることがあり、
「自分の心が汚い」と気付いてしまったら、もう一緒にはいられなくなってしまったことがあった。
(ただ、こんなことはストレートには言えないし、むしろ言葉にできなかったからとてもモヤモヤした。)

逆に、話せば話すほど、一緒にいればいるほど「心が洗われる」ような感覚がある人とはずっと仲良くしていきたいと想う。
また、「心が乱れているな」と感じる時は、自然や琴線に触れるものと出会って、エネルギーをチャージする必要にかられる。


それが元々、日本人が備えていた感性だと思うとなんだか誇らしい気がしませんか?



「正しいかどうか」では判断出来ないことも、
「美しいかどうか」では分かることは大いにある。


だから、日本の文化の「道」がつくものは「心」や「所作」、「言葉」をとても大事に扱っている理由がなんとなく分かるような気がします。

日本人が持っていたその美的感性を自信を持って選び、大切に育てていきたいな。
(まずは食事の盛り付け方や突拍子もない行動しちゃうところに「それって美しいですか?」とセルフツッコミしようかな。。。)


そんなわけで美しかった「夢の吊り橋」として有名な寸又峡に行ってきたので、紹介します!

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(橋の上から携帯落とさないかビクビクしながら撮った風景)
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(しっかりとした造りだけど、結構揺れるため、手を離すのが精一杯で実は結構へっぴり腰(゜_゜))
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(帰りの御殿場付近の高速に乗りながら撮ったサンセット富士山。これぞ日本の美ですね!)
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(帰りのSAでのひとこま)




⚫「夢の吊り橋」寸又峡までのアクセス
海老名IC~静岡ICまで高速で約2時間(¥3,480)
静岡IC~寸又峡まで約1時間半(ピンカーブのような急カーブが多いので運転には要注意)
駐車場から約2,5kmほど歩いて、「夢の吊り橋」へ到着!
平日が人も少ないのでオススメ♪